アジアにこだわり、未知のリーグを追い求める。伊藤 壇の挑戦です

プロジェクトカテゴリ : サッカー

1年1カ国を目標にアジアを踏破してきたプロサッカー選手・伊藤 壇。前人未到の挑戦を支援者の皆様と共に!

このプロジェクトについて
伊藤壇

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企画者:伊藤 壇
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こんにちは、伊藤 壇です。アジア16カ国を渡り歩き、現在17カ国目の移籍先を探しています。残りのサッカー人生、悔いのないようやりきりたいと思います。皆様のご支援をお待ちしています。


◇アジアの時代が来る!

2000年、2年間プレーしたベガルタ仙台から戦力外通告を受け、空白の1年間を過ごしました。高校大学とサッカー推薦で進学し(高校は特待生、大学はサッカー推薦)Jリーガーになった。それまで順調だったから、そのときも誰かが助けてくれるだろうと楽観していました。けど実際は移籍先が見つからず、時間だけが過ぎ、お金もなくなって・・・。Jリーグ時代は恵まれた環境に甘えていたんだと思います。

伊藤壇

今思えば、この1年は辛かったけど、自分を見つめ直した大事な1年でした。いずれプレーヤーとして一線を退く日が来る。第二の人生は人と違った武器が必要だと考えたのです。僕の場合、それがアジアでした。アジアサッカーの第一人者になろう、と。

プレーをしながら語学も学び、もうひとつの夢だった海外生活もできる。そこでコネクションができれば将来においてもマイナスではないだろうと考えました。ただ当時は今ほどアジアのサッカーが注目されていなかったから、周囲の目は冷ややかでした。「アジアなんて・・・」とほとんどの人が相手にしてくれませんでした。
だから僕は「いずれアジアの時代が来るよ!」って言い返していた。当時は何の根拠もなかったんですけど。


◇1年1カ国、アジアのリーグを渡り歩く

シンガポールで選手を募集しているというサッカー専門誌の記事をみつけたのがきっかけで、シンガポールのウッドランズ・ウェリントンFCでプロサッカー選手に戻ることが出来ました。以来、アジア諸国を渡り歩き、今年挑戦したモンゴル・エルチムで16カ国目となり、世界15カ国でプレーしたドイツの選手の記録を抜くことが出来ました。

2004年に所属した香港・傑志(キッチー)足球隊時代には、香港リーグ選抜に選出され、カールスバーグ・カップに出場しています。また、プレシーズンマッチではイタリアの名門ACミランと対戦し、勝利することが出来ました。ベトナム、マレーシア、ミャンマーなど今では日本でもお馴染みの国で最初にプレーした日本人は僕だと思います。

最初は10カ国が目標だったんですが、ドイツ選手の記録のことを知り、足が折れても16カ国を目標にチャレンジしようと誓い、モンゴルでそれを達成することができました。

伊藤壇

だけどこう見えて、実は楽な方向に流されがちな性格です。だから何をやるにしても公言することにしています。1年1カ国、アジアのリーグを渡り歩く――。ブレない目標があれば、自分から逃げ出すことはできません。ほとんどのクラブから翌年、複数年契約や給料アップの打診をもらっていますが、年棒が3分の1になってもあえて新しいクラブとサインしています。1年1カ国と決めているから。全部捨てて新しい環境に飛び込んでいく、ゼロからのスタートを繰り返してきました。手持ちの現金10万円を使い切って、それでも新しいクラブが見つからなかったらサッカーを辞めよう・・・それぐらいの覚悟で移籍先を探したこともあります。

僕の場合、代理人をつけません。クラブ探しから交渉まで全部ひとりでやることにしています。成功しても失敗しても自分のことだから明確だし、納得がいくからです。プレーで上手くいって英語力で契約に至らなかったとしても”すべては自分のため”。学びになるんです。全部自分でやることで、いろいろな可能性が出てくると感じています。

最近はアジアを渡り歩いてきた経験が、日本サッカー界の将来に繋がるだろうと考えるようになってきました。Jリーグを戦力外になった選手の手助けだったり、地元・札幌からJリーグやアジアで活躍する選手を育ててみたい目標もあります。また、子どもたちに自分の経験を伝えるのも大事な仕事だと考えています。

伊藤壇

日本代表としての意識

もちろん新しい国に挑戦するのは大事ですが、それ以上に大事なのが、行った先々で結果を残すことだと考えています。給料の面でもプレーの面でも自分がモノサシになる。僕が失敗したら後に日本人選手が続かなくなってしまいます。だから、いつも日本代表選手のような気持ちでプレーしています。

そして、そんな僕のサッカー人生もいよいよ終盤に差し掛かっています。実はモンゴルでMVPを獲ったら現役を引退しようと思っていました。そうしたら最後の最後、プレーオフの決勝戦でどフリーのシュートを外してしまった。決めていれば間違いなくMVPだったと思うんですが、チームメイトのブラジル人選手に持っていかれた。神様がまだ辞めるなっていうことかな?と前向きに考えています。

伊藤壇

今回、この場を借りて集めた資金は17カ国目のチャレンジに使いたいと思っています。現時点(9月30日)ではアジアのどの国へ行くかは未定です。現状につきましては、活動報告からお知らせいたします。ひとつ言えるのは、残りのサッカー人生、この場を借りて支援者の皆様と共有したいと思っています。

【プロフィール】
伊藤 壇(いとう・だん)
1975年11月3日 北海道札幌市出身 175cm 70kg MF


経歴:
仙台大学、Jリーグ「ベガルタ仙台」を経て2001年から海外へ。これまでプレーしたのはベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、インド、ミャンマーなど日本を含め16カ国・地域。アジアにこだわり続け、未知のリーグを目指し、 各地で「初上陸の日本人選手」として活躍している。


伊藤壇

◇支援金の使い道について
宿泊費・移動費・トレーニング等、海外での活動費の一部となります。

伊藤 壇オフィシャルブログ http://www.diamondblog.jp/official/dan_ito/

プロジェクトオーナー

伊藤 壇

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現在の支援金総額

  • ¥160,000
  • サポーター15 人

このプロジェクトはSUCCESSせずに
2016/01/31 に終了しました